ごろごろビシャーン

がんばります

お考え「ボディミルク最強」「悪感情との付き合いかた」

概要

  • 乾燥を感じたらボディミルクを塗りましょう。この乾燥には、爪の荒れ、髪のパサつき等を含みます。
  • 悪感情を抱いた時、「祈る」という選択肢を取れるかどうか。そこが人間性分水嶺の一つだと思う。

ボディミルク、強すぎ

  • 長所:全身に使える;しっとり感が持続する;まとまりが続く(髪)
  • 短所:0。なし🍐
  • ボディミルクが殺した者たち
    • 乳液
    • 洗い流さないトリートメント
  • マジでいらなくなった
  • 牛乳石鹸のボディミルクを使ってるんだけど、これが凄くいい。マツキヨPBのやつも使ったけど、相対的にイマイチだった。というかイマイチだった。ある程度いいものを使った方がいいようだ。
  • ワセリンとかでもいいのでは、という仮説もある。要検討。

    悪感情との付き合いかた

  • ファストフードで、「ミルクない?」って何度も聞いている人がいた。「何回聞いてんねん、早よしろや」と思った。母と会話が噛み合わなかった場面も記憶に新しい。会話が通じない場面、苦手だ。汚い感情を持ったりもする。口に出さないだけで、多かれ少なかれみんなそうだ思う。
  • さりとて、僕がご迷惑をかけている場面もあるだろうし、そんな場面は年を取れば増えていくのだろう。そう考えると自責の念も出てくる。自分に牙を剥く悪感情との向き合い方って難しい。永遠の課題だ。
  • キラーT細胞が健康な細胞も食っちゃって臓器が駄目になるとか、白血球が増えすぎるだとか、そういった病気と同じことなのだと思う。悪感情は自己防衛のために必要なものだ。けれど、時としてそれは自らに牙を剥く。
  • 僕は悪感情を抱くことそれ自体を「悪」とする考えを長らく持っていた。けれどいつからか、それは必要なものなんだってことを理解し始めた。その上で、「どれだけ持って」「どのように」「どれだけ出すか」っていうバランスが大事なんだろう。
    • 「どれだけ持つ『べき』か」
      • そもそも、心の健康上の観点で言えば、悪感情は0に近ければ近いほど良い。自明だと思う。しかし、それでは生きていけない。世界は完璧ではないし、自分も完璧ではないからだ。現実、自責がなければ排斥されてしまうし、他責しなければ搾取されてしまう。
      • じゃあ、ということだ。量的な結論は出せないが、「その感情の目的は何か」を検討することは有効そうだ、というのがここでの結論である。
      • 悪感情の有効性は、内部(特に自ら)についての問題発見、外部についての危機感知について認められる。逆に、それらに役立たない悪感情は無駄コストだ。
      • 悪感情の活用方法は、下記の4択だ。
        • 内部の問題を「受け入れてしまう」か「矯正する」
        • 外部の問題を「(場合によってはそれ自体からも)回避する」か「矯正する」か
      • これらの選択肢が取れないなら、その悪感情は無駄コストである。忘れ去るか、あるいは粛々と苦痛に耐えるしかない。でなければ、自体は悪化する一方だろう。
      • この、「粛々と耐えるしかない」ということを理解し、無駄な足掻きをしないことは、大変難しく、また重要な択である。この択は、「祈り」としても知られる。「自らではどうしようもない」ことを理解し、天命を待つ行為だ。
      • 凡百な人間は、「もうどうしようもない」と心のどこかでわかっていて尚、足掻こうとしてしまう。これを適切に行えるかどうか、というところに、人間的な力量が大きく出ると私は思う。
    • 「どのように」「どれだけ」出すかという観点については、また後で書こうと思う。疲れたからだ。