ごろごろビシャーン

がんばります

忘れないでいたいこと

私は大学受験期に、参考書を片手に散歩するのが好きだった。中でもお気に入りだったのが、公園だ。公園のベンチで過ごす時間が好きだった。勿論、ちびっ子たちがわんさかいたらいかない。邪魔にならないようにする。誰に対するエクスキューズなんだろうこれは。閑話休題

お気に入りの公園が二つある。一時間くらい歩く、デカい自然公園と、2分くらい歩くちょっとした公園だ。小さい公園と書こうとしたが、小さいというには大きい気がする。なんたって区画が3つある。植木エリアみたいなところも入れれば4つある。小さいと言うには大きすぎる。まあ、どちらも小さい頃から馴染みがあって、落ち着く。ところで、今回は前者のデカイ方について書く。

どれくらいデカイかというと、うーん、めっちゃでかい。ディズニーランドくらいあるんじゃない?知らんけど。(知らんけど、という言葉は日常だとよく使うのだけど、文章で使うと胡散臭い気がした。特に読点(。)を付けると胡散臭さが際立った。なんなんだ。今回はあえて付けた)

デカイ公園って、良い。主に犬と老人が散歩をしている。僕は午前中に行くことが多かったから、特に。誰もが気ままに過ごしている。「オレ、嫌々来てるぜ」みたいな奴は一人もいなくて、みんな来たくてきて、したいことをしたくてしている。そういう空間を僕は「ディズニーランド」と呼称しているのだけど、あそこは特にディズニーランドだ。ディズニーランドよりもディズニーランドかもしれない。

さっき、お風呂に入っていて、その公園で見た景色を思い出した。よく日が差していて、赤とんぼが飛んでいて、ジジイが管楽器の練習(ヘタクソ!)をしていて、散歩中の保育園児たちが駆け回っていた。(あそこは保育園児もよく来る)ちびっ子たちには大人も混ざっていて、後から知るのだが、それは先生でもなく、全然関係ない大人だった。終わりの挨拶みたいなのをするときに、おじさんにお礼を!みたいなことを先生が言っていた。おじさんはそのまま去っていった。あのおじさんはなんだったんだろう。 その光景が、なぜだかたまらなく良かった。僕はジジイから一つ飛ばしたベンチに座って、友だちと(スマホ越しに)喋りながら、勉強をした。勿論集中していないので、ポーズだけ。*1 牧歌的という言葉が一番似合う光景だったと思う。ヘタクソな管楽器が本当によく似合っていた。フルートかな、よく分からないけど。

僕はその空間を記憶し続けている。別にヘタクソでもいい。人がいて、自由にしている。それだけの時間が、僕にはかけがえのない思い出だ。 僕は生きるのが下手だが、それでも誰かにとって、ヘタクソなジジイのようであれたら、と、そう願っている。あの体験は、僕にその根拠をくれた。おかげで、これは形ある祈りとして僕を支えている。

と、ついさっき思った。忘れないでいたいので、書き残しておこうと、これを書いている。


*1:当時、私は受験生だった